会社に行けなくなった日のこと
開設2つ目の記事で書く内容ではないです。多分。
Twitter見てくれてる人(現段階でこの記事見てくださってる人は大体そうだと思うんですが)はご存知のことと思いますが、
僕は現在、精神的な理由で会社を休んでプー太郎生活を謳歌しています。
具体的に何してるかと言われれば、ゲーセン行くか、10kmくらい散歩するか、家で何かしら勉強するか、銀英伝見るか、寝るか、まあ誰もが羨む生活ですね。
診断書に記された休養期間は1ヶ月程でした。既にその半分以上を貪ったというところで、気持ちも大分落ち着いてきてはいないです。
こんだけ好きなことばっかやってる生活なのに一体何をほざくのかと思われそうですが、
僕自身マジでそう思うのでマジで困ってます。
せっかくブログという場を設けてみたわけなので、初めて会社に行けなくなった日のことについて長々と書かせて頂こうかと思います。
自分語りするのは久しぶりな気がするので、ちょっと照れますね。
初めて無断欠勤をしてしまったのは、9月10日のことでした。
正直、当日の朝のことはあまり覚えていません。
前々日の8日に現場作業で休日出勤のち、終わり次第そのまま特急で松本に向かいました。
9日も朝8時頃から元気に休日出勤でした。
そこのお客さんや業者さんにはとても可愛がっていただき、普段から良くしてもらっていることもあり、その日はまだ元気に仕事していたように思います。
ゲンゴロウと思しき昆虫の写真などをハッシュタグ付きで投稿しているあたり、元気だったんでしょう。
作業が終わったのが17時頃、特急あずさに揺られて(ちなみにあずさは物理的にめっちゃ揺れます)新宿に着いたのが22時過ぎ。
半額のコンビニ弁当を携えて寮の部屋に辿り着いたのは23時半頃でしょうか。
翌日も仕事があるのでさっさと生活の雑事を終えて寝ないといけないんですが、
このところ僕は非常に寝つきが悪く睡眠時間も不足しがちでした。
というのも、その前の週から非常に厄介な状況になっている、正確に言えば僕がそのような状況にしてしまった現場が始まっており、
その現場の状況が怪しくなり出した(準備段階の)8月半ば頃からどうにもストレスが溜まりがちで生活にも支障が出始めていました。
この頃の僕のTwitterの荒れ様は酷かったと思います。毎日毎時間辞めたいだに◯にたいだの言ってたように思います。
フォロワーの皆さんにはこの場でお詫びさせて頂きたいです。あの頃から今に至るまで、ずっとお目汚しを続けてしまっており本当にすみません。
少し脱線しましたが、その日も部屋に着きとりあえず服を脱いでお弁当を食べたんですが、どうしても次の行動を起こす気になれませんでした。
ここまでならこの頃はよくある事で、「なんとなく他の寮生に会いたくない」という理由から夜中になるまで風呂に行かずそのまま寝てしまうこともありました。
そういう時は大体3時頃に就寝、6時に起床しめっちゃ焦る、流石に不潔すぎるので超大慌てでシャワーを浴びるというルーチンで何とかしていたんですが、
その日はその炎上しかけ現場の事ばかり考えてしまって、何かをする気分にもならなかったのです。また、その日に限って同じ階の寮生の夜中の出入りが激しく、部屋から出る気分にすらなれませんでした。
9日当時その現場はまだ炎上しているという訳ではなく、お客様の方からクレームが入るなど色々と深刻な問題がありながらもその都度是正したりフォローを貰いつつなんとか予定通りに進行は出来ているという状況でした。
なんですが、機器の調達がギリギリで作業中の搬入になるとか、廃棄物の引き取りの手配も進行中だとか、色々と深刻な問題があり、とにかく考えなければいけないことが多かったんですね。
最初のうちはスマホの予定表とにらめっこしつつあーだこーだ考えていたんですが、
その後の事はあまりよく思い出せません。
寝落ちしたとかではなく、その日は朝まで起きてアラームの音も聞きましたし、社用携帯が朝から夜までけたたましく鳴りまくっていたことはよく覚えています。
朝から夜まで起きてはいたんですが、何を考えていたとかは全然思い出せません。
忘れたというより、思考がぐちゃぐちゃで何が何やら分からなかったというのが正しいように思います。
やらねばならないこと、やらなくてもいいこと、自分がやりたかったこと、将来のこと、過去の失敗のこと、友人のこと、同僚のこと、失恋したこと、趣味のこと、何もうまく行かない、今すぐ逃げ出したい、もう辞めたい、怪我したい、消えたい、死にたい。
色んな感情や思考、トラウマがミックスされて何が何やら意味が分からない。
どうにも後付け的というか創作的というか、チープな表現になってしまいましたが、
僕の語彙力と表現力ではこれが限界です。
とにかくその日は、夜中に今後の予定を考える事をやめてからは、
ずっと布団に横になったまま寝てはいませんでした。
何かを考えてはいるものの何を考えているか自分でもさっぱり分からない
ただ間違いなく、「死にたい、死にたい」とそう思っている、そんな1日でした。
結局、携帯を触れたのは21時頃でした。
部長からの「空メールでもいいので返事ください」というメールに「お返事出来ずに本当にすみません」と返信しました。
部長からの返事は「とりあえず安心しました。明日の現場は大丈夫そう?」とかそんな感じだったと思います。
「明日の現場」という文字を見て、思わず携帯を放り投げて泣きました。情けない話ですが。
だいぶ長文になってしまいました。
無断欠勤をしたのはこの日が初めてだったんですが、
それより前から、どうしても会社に行きたくなくて当日に有給や代休を取ったり、朝目を覚ましてはいるものの起き上がる事が出来ずにフレックスで出社したりという事が増えていました。
クリニックの先生に聞いた話だと、部屋の掃除やお風呂に入るのが億劫になったり、人に会いたくなくなったりしていたのも、そこに至る兆候だったらしいです。
今更言っても詮のないことですが…。
この記事を書いて何がしたいのか、
この記事を載せた後のこのブログのスタンスなど
いまいち自分でも分かりかねますが、またこの後の事についての記事は書くと思います。
回顧録的なものになればいいのですが。
それでは、また。