"呪い"の話
何もしてない間にオカルトや宗教にハマったわけではありません。
ご無沙汰しております。
ほんっとうに突然ですが、皆さまは"呪い"を信じるでしょうか。
私は今、ある呪いにかかっていると思ってます。
単刀直入に言えば「生きる呪い」です。
療養しつつも病状が悪化してから。
仕事に行けなくなったあの日から。
あるいは、社会人になった日から。
もしかしたら、生まれたときから。
僕は、生きる呪いにかかってしまったような気がします。
こういうくだらないことを考えているせいでよくならないんだという気もしますが、
脳裏に浮かんでくるものはどうしようもありません。本当にごめんなさい。
最近、というよりけっこう前から、
ふっと死にたくなることが多々あります。
寝ようとしたときや作業が一段落したときなど、何もしていない時は言わずもがな。
ゲームをしてても、アニメを見てても、仮面ライダーを見てても、誰かと話をしてても。ふとした瞬間に、
「俺って今なにやってるの?」
「なんでこんなに無価値に生きてるの?」
「なんでなにもしてない癖に楽しいことだけやってんの?」
「なんでまだ死んでないの?」
そんな思考が襲ってきます。
私は甘えた人間なので、毎日四六時中自分を責め続けるほど律儀なことは出来ません。なので毎日24時間一分一秒余さず死にたがっている訳ではないんですが。
楽しい時間を過ごしていて、そんなこと絶対考えないだろっていうタイミングでも、
自分の希死念慮はひょこっと顔を出してきます。
こいつはいなくなることはありません。何かをしている時、まさに今も、ちょっと隠れているだけです。
少し何かを意識しただけで、笑いながら囁きかけてきます。
ですから最近は色々と怖いものが多いです。
電車のホーム、幅の狭い歩道、自室の窓、ひものようなもの。
気を抜けば吸い込まれてしまいそうで、死に向かう自分が想像できるものが怖いです。
きっかけがあればコロっと逝っちゃうんじゃないでしょうか。
「そんなに辛いなら死ねば?」と自分でも思いますが、
死にたいという願望よりもっと苦しいものが"生きる呪い"です。
まず、部屋で死んだら死体処理で色んな人に迷惑をかけてしまいます。寮長をはじめ、同期や会社にも迷惑をかけてしまうでしょう。
飛び降りなんかして人や物に損壊を加えれば死んでまで親にお金を払わせてしまいます。電車や自動車に飛び込むなんてもっとダメです。
入水とか山の奥深くでごにょごにょあたりが一番いいのかなー?とか最近はよく考えてます。
でも、親より先に死んで親に自分を責め続けさせてしまうのも嫌です。私の死なんかで悲しんでほしくないし、厄介払いが出来たと笑ってほしいくらいです。
もしかしたら、悲しんでくれる知り合いがいるかもしれません。それもそれで辛い話です。僕のことなんか忘れてくれて構いません。
もし悲しむ人がいないとしても、人の死というのは強く記憶に残るでしょう。そこから教訓やインスピレーションを得られれば僕が死ぬ意味もあるというものですが、もし無ければ単に嫌な思い出として残ってしまいます。
こんな具合に色々と死ねない理由があります。
でもそんな言い訳群よりも何より強く私を縛っているのは、母親と交わした「死なない」という約束と、友人に言われた「生きようよ」という言葉です。
もちろん、悪意がないことくらい分かっています。
それでも、今の自分にとってこのような言葉は呪いの言葉に他なりません。
アニメや特撮でも生命賛美はよくありますが、その手の話も正直見ていてしんどいです。
「死にたいなぁ、もういいかなぁ」と思っても、死ねない言い訳と呪いの言葉によってそんな思考が止められてしまい、涙が溢れてきます。
それでも僕の願望は隠れているだけです。毎日、何度となくそんな思考を繰り返します。正直に吐いてしまうと、本当に辛くて苦しい。楽になってしまいたいです。
なので、自分自身に一つ新たな呪いを課しました。
「26歳の誕生日まで生きる呪い」です。
死ぬために生きるという矛盾自体が今の僕を支えていて、
確固たるゴールとして生への大きなモチベーションです。
酷く歪であることは理解していますが、それを意識してから少し前向きになり、
上司とも職場復帰に向けて話を進めようという気になりました。
たぶん、辛いことがあってもそれはきっと死ぬための清算、罰だと思えば耐えられるような気がします。
2022年のカレンダーに今の時点でたった一つ、予定を刻み込みました。
こんな記事書いたのは別にかまってほしいわけじゃありません。なにせこのブログは「雑記帳」なので。
ただ、何か伝えたいとすれば、
私たちのような人間の自殺願望を否定しないでほしいです。
理解して、もし関わって頂けるのならば寄り添ってほしいです。
でももし呪いを振り切ってしまった時は、少しでも悲しんでもらえれば僥倖です。
そんなところでしょうか。
昼間から長々と申し訳ありません。次の記事は楽しい内容にしたいですね。
それでは、また。